「家族のこれから-8」


※※※


 翌日からはしっかりと起き上がれるようになった。多少ふらつくものの、昨日とは雲泥の差だった。
 やはり人間、食べる物も食べなくては、動く事もままならないものだとつくづく思う。
 晩飯もたらふく食べさせて貰ったおかげだろう。
 はやく記憶を取り戻し、かの恩人にむくいらなくては、と布団から抜け出し伸びをしながら思う。
 「さて、行くか!」
 からりと横引きの戸を開ける。
 菊の言った通り日本での生活はかなり長いのだろう。ふすまは横に開ける物だとしっかり解っている。
 なんの違和感もなく生活が出来そうだ。
 だが家の間取りを把握している訳ではない。
 菊が呼びに来るのを待つべきだったかもしれないが、今はいてもたってもいられない。
 少しでも役に立つのだ。
 そう思うと廊下に出、取り合えず右に向かった。
 いや、本能が優先されたのであろうか。確実に菊の居る台所に向かっていたのだから。
 近づく度、とんとんと規則的にまな板をたたく音が聞こえる。朝食の準備はもう始まっているのだろう。日本人の朝は早いという事まで、覚えているというのに。都合のいい記憶にサディクは情けない気持ちになるが。
「おはようごえぜえやす!」 
 確信を持ったままサディクはのれんをくぐる。
 呼びかけに菊は振り返った。だが窓から差し込む光の所為で、顔は見えなかった。だがその姿はまるで後光が射しているようでまぶしく、凛とした立ち姿が美しかった。
「おはようございます…ってえ、サディクさん!?」
 振り返った菊は驚きの声を上げた。
「もう起き上がって大丈夫ですか?」
 心配そうな声に、大丈夫ですと笑ってみせる。
「それほど柔じゃありませんや。一日休ませて頂いたんです、すっかり良くなりましたぜ。」
「…そうですか、良かったです。」
 光に慣れてきた目に、ようやくほっとしたような表情になる菊が映った。
 本気で喜んでくれているのが伝わってきた。ああどうしてこの人はこんなにかわいいのだろうかと思う。
 そばにいって何かしたいと、居ても立っても居られなくなった。
「手伝いますぜ。」
 そう言って机の脇から回り込もうとすると、やんわりと止められた。
「もうすぐ出来上がりますから、結構ですよ。それより、顔でも洗っていらして下さい。こんな朝早くに起きられたのではつらいでしょう?」
 そういうと、洗面台はこっちだと案内される。
 そばに来てくれた事で満足した訳ではないが、顔を洗いたいたかったのは確かだったので、大人しく付いていく事にした。家の間取りも知っておきたい。
「や、すみません。では使わさせて頂きます。」
 顔を洗うのもなんだか久しぶりだ。
 そういえば体もかなり汚いような気がする。
 足下をちらりとみれば随分と薄汚れている。まずい、布団は汚れていないだろうか?と青くなっていれば。菊が気にしている足下をみとめ、ああと思いついたように、どうせならお風呂にもお入りになられますかと気遣って聞いてくれた。
 汚い体でこれ以上居る訳にもいかない為、素直に言葉に甘える事にした。
 菊が浴室の扉を開ける。脇から覗き込むとこじんまりとした風呂だった。だが浴槽もちゃんとある。
 中に入り、簡単に使用の説明をしてくれる。
「ええと、シャワーだけになりますが…ここを捻って温度を調節してください。シャンプー等もご自由にお使い下さいね。上がったら、そこのタオルを使って下さい。」
 ここで新たな問題が浮上してきた。
 風呂の説明をされてから思い至ったが、替えの物がまったくないのである。
 だがそれももう見越していたらしい菊がてるてるとしゃべり、その問題をあっという間に解決した。
「下着は私の買い置きの新しい物がありますから取りあえずそれで。サイズ等はあわないと思いますから、後で買いに行きましょう。服に関しては…その服を洗濯して…している間は私の浴衣で我慢下さいね。それが乾いてから着替えて、買いにゆきましょう。ですので脱いだらそこの籠に入れて下さいね。これからも洗濯物はそこへ。…ではお風呂から出たら呼んで下さい。浴衣をお持ち致しますから。」
「…はい…」
 サディクはただ頷いてすべてを聞いていた。いや、口を挟む余裕もなかった。
「では私は朝餉の仕上げに戻りますので、ごゆっくり」
 全てをつつがなく説明し終え、菊は台所に戻っていった。
「…す、すげえ…」
 なにも考えていなかった為、余計にそう思ったのかもしれない。菊に任せていれば全てが簡単に解決してしまう。服を脱ぎながら改めて感心する。
 だが、どろどろの服に改めてサディクは驚き、不思議に思い、さらに菊に申し訳なく思った。
 布団はシーツを是非、洗濯させてもらおう。
 それにしても、一体自分は何をしていたのだろうと頭をひねる。
 こんなになるまで何故?どうしてさまよっていたのだ?
 このあたりが思い出せなければなんの意味もない。
 またずきずきと痛んだ頭を、べしりとたたいた。
「…ああ、くそ。思い出せねえか…」
 このはっきりしない頭も、熱いシャワーを浴びればだいぶはっきりするだろうか。
 そう思いながらサディクはコックをひねった。
「…うあっちべてっ!」
 捻ってすぐ出てきたのは当然ながら冷たい水。
 かなりの年代ものなのだろうか。熱い湯はなかなか出てこなかった。


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