「家族のこれから-6」



「ハークくんっ!」
 雷を落とすような、鋭い怒声。
 それは当然ながら初めて聞くもので、もちろん男は驚いた。ビビったと言っても良い位に。
 普段静かな人間程怒ると怖いというのはこの事だろう。
「っつ!」
 びくりと体を震わせて、子供は動きを止めた。
 だが、初め大きな怒声を浴びせた後は、菊はもう怒気を納めていた。表情は固くなっているが、怒りのものとは縁遠い。
 菊は子供の肩に手を置き、しっかりと目を見て言った。
「…なんでこんなことをしたんです?」
 静かな声。だが悲しみも織り交ざった声に、子供は今にも泣きそうな顔になっていた。
「おっおれ…」
 だが、どうひいき目に見ても子供に正当性はない。大人げない発言に挑発されたのだろうが、暴力を振るっていいという理由はどこにもなかった。
「いいですか、ハーク君。倒れ、弱っている人に暴力を振るう。それは弱い物いじめと同じです。」
「…」
「…人にやった行いは必ず自分に返ってきます。わかりますね?君がこんなことをしていては、お母様もきっと悲しまれますよ。」
 その言葉に子供は、目線を落とす。余程堪えたのであろう。小さな肩は震えていた。
「…」
「ほら。ちゃんと。謝りなさい。」
「…」
「…ヘラクレス。」
「…ごめんなさい…」
 菊に促され、ようやく絞り出した謝罪は蚊の鳴くような小さな声だった。
 だが、謝った事は謝った。とでもいうように、それだけ言うと菊の手を振り切り、子供は一気に部屋の外に走り出て一目散に駆けていった。
 男に頭を下げるような、菊に悲しい思いをさせるような状況を、自らつくったのが余程悔しかったのだろうか。考えなし、感情だけで動く事は良い状況を作らない。だがそれは経験を重ね覚えていく事であるから、子供に取ってはいい勉強であったかもしれない。
「ハーク君!」
 ばたばたと存在を主張していた子供の足音も、あっという間に消えてしまった。
 菊の伸ばした手は空をつかんでいた。
「…」
 しばし沈黙が落ちたが、すぐに菊はそれを自ら破る。
 男を振り返った顔は心底申し訳ないといった表情だった。
「本当に申し訳ありませんでした…。私の教育が足りませんで。」
 深々と先ほどの男のように畳に手をついて謝る。
「や、やめてくだせえ。顔を上げて下さい。こんなの大した事じゃありませんや…餓鬼のやることですから!」
 男は焦って、それを止めた。
 このやさしい人に頭を下げられるのは本当に心苦しい。
「いえ。大事な事ですから…これからどうぞ、あの子のこともお願い致します。」
 そういってもう一度深く頭を下げた。ただの居候風情になんという丁寧さか。真摯なその姿に、男は心を動かされる。
 どうしてそんなに子供と自分の仲に必死になっているのかは良く解らない。けれど、二人の城に邪魔しているのは男なのだ。
 いや、今この時点で世話ばかりになって。本来ならば文句のひとつも言えない身であるのに。
「なにいってんですか。…心配しないでくだせえ。これでも結構子供好きなんでさ。あいつが嫌でもぜってぇ馴染んでみせますんで、顔を上げてくだせえ」
 あの子供と上手くやってみせる。そう宣言せねばこの男はいつまでも上体を伏せた状態のままな気がした。
 気が進まなくても、なんでも仲良くするしかない。いろんな意味でそう思う。
 一番は菊を悲しませない為だ。
 するとようやく、菊は頭を上げてくれた。
「…よかった」
 そう言って微笑んだ。
 菊は笑っているのが一番良いのだと男は思う。
 ふと、菊が壁にかけてある時計を見た。その針はもう夕暮れ入りの時間を指していた。
 「…ああもうこんな時間ですね。支度をしなければ…もう少し休んでいて下さいね。また夕餉をお持ち致しますから。」
 そう言いながら男の跳ね上げた布団の位置を直してくれる。
「…起き抜けに長い間お話しさせてしまって…すみません。お疲れになったでしょう?私はちょっと買い物に出てきますので…しっかりお休みになっていてくださいね」
「あ、はい。大丈夫です。すいやせん、ホント。お手数かけやして…」
 先ほどハークとの戦いに全部の力を費やしてしまった為か、まためまいがする。言われてみて自覚したものなのだが。
 本当の所かなりジャストミートしたのか、けられた部分も今更ながら痛んだ。だが菊にそんなことが言える訳もなく。子供のケリでわめくのもプライドが許さない。ただの打撲だろうし、すぐ収まるだろう。



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