「家族のこれから-18」

 平気だといって、サディクとじゃれあっていたのはヘラクレスである。ちなみにじゃれあいに見えていたのは、二人の大事な菊当人だけだったが。
 もうちょっとだけと言っているヘラクレスの膝は見事にサディクのみぞおちに決まっていたし、サディクの指はヘラクレスの頬をひっぱって何処まで伸びるか試していた。
 見た目は確かに仲睦まじいように見えていた?かもしれない。
「眠かないよなあ?」
「…うん、大丈夫だよ菊!」
 そう言って、にっこりとお互いに皮肉たっぷりで笑う。ヘラクレスの頬は少し引きつっていたが。
 そんな二人のやりとりを見て、菊は本当に仲良しさんになりましたねえと笑っている。
 …本当にこのギャップがねえ…、と菊とヘラクレスを交互に見ながらサディクは思う。
 自分のせいだとは解っているし、宿命の何かも感じているから当たり前なのだが。別の何かも二人を大きく隔てているような気がしてならない。だがそれを突き詰めようとすると、途端激しい痛みが脳を揺らす。
 まるで思い出しては、都合が悪いのだと言うように。
 それはもちろん自分にとって都合が悪いのだろう。
 だが、あくまで憶測に過ぎない。勘等言う程当てにならない物だ。そもそも、都合が悪いからといって記憶から目をそらしたい訳でもないのだから。
 むしろその逆で、全てを思い出したいという欲求の方が強いくらいだ。役立たずの、穀潰しの自分を早く終わらせたい。 それだけだ。
 自分への不振も、不安も、今はもうあまりない。それもこうして、自分の居場所があるからだ。
 だからこそ、この場所を確たる物にするためにも、はやく全てを思い出したいのだ。
「サディクさん?」
 すっかり自分の思考の海に入り込んでいたサディクは、菊に掛けられた声に酷く驚いた。
 つい、茶碗を取り落としそうになる程に。
「は、っはいっ!」
「ご飯、おかわりなさいますよね?」
 慌てふためくサディクの様子も、特に気にしていないようで、菊は手を差し出す。
「あ、ありがとうございやす、お願いしやす…」
 寝坊しておいて、さらにぼーっとしてる場合か。
「考え事も確かに大切ですが、食事中にあまり考えすぎると消化によろしくありませんよ?」
 茶碗を渡す時にそう言われる。飯に集中していなかった事をとがめられるのではないかと、気にしていたのはしっかりバレていたようだ。
「はは、程々にしやす…」
 すいやせんと、苦笑いで返すとかく言う私も良くやっちゃうんですけどねと、菊は笑った。
 どうしてそんなにやさしいんだ、この人は。
 些細なことでも、こちらが負い目に追わぬ様、フォローする。それは客人だからか、菊の生来のものか。どちらもだろうが、今のサディクにはそれがつらい。
 よそってもらった飯を頬張りながら、サディクは菊を盗み見る。
「ほらほらこぼしますよ、ハーク君…」
 ヘラクレスの世話を焼いている菊。頬に付いた飯粒をとってやったりと、とても甲斐甲斐しい。なんとも微笑ましい光景だ。
 菊のそれはまるで、母親のようだと思う。父親というより余程しっくりくると、サディクは思った。
 …ヘラクレスの母…親。
 ここで…菊と一緒に住んでいた…。
 その言葉が頭に思い浮かんだ瞬間。不意に。今まで考えもしなかった邪推が、目の前に躍り出た。
 え?
 目の前がその所為で、一瞬真っ暗になった。
 
『本当に、友人の関係だけだったのか?』

「…」
 だが、思い浮かんだ瞬間それを打ち消した。
 何を馬鹿なと、思う。
 ヘラクレスはトルコ人とのハーフだと、先程に菊に言われたばかりだというのに。可笑しいじゃないか。
 しかも酷いもんじゃないか。命の恩人に向かって、なんて汚い邪推だ。男女の間にだって友情は存在する。菊は友人といった。それでいいじゃないか?
 いや、それ以前の問題だ。別にそんなことはどうでもいい。もし、そうであったとしてもなんだというのだ?過去の恋人までに嫉妬する権利など、自分にはない。
 対等にさえ立てていないのに。
「…サディクさん?」 今度は驚かなかった。
 ただ、心配そうな顔、声が、身に染みた。
「…どうなさったんですか、お顔の色が優れませんよ…」
 不安そうな、気遣う表情。
 きっと無理をさせたからだと、思われているに違いない。いつもなら大丈夫だと言った。だが、今はその名分を借りようと思う。それほどに自分の考えに、打ちのめされていた。なり振りを構っている余裕等なかった。
「すいやせん…ちょと、気分が優れなくて…」
 上手く笑えているかどうかも解らない。
 天と地がどちらかも解らないままに、食べかけの茶碗を置いた。
「っ!すぐに、すぐに、布団を敷きますから、はやく…床に、お休みなって下さい!」
 そう言うと、早足に台所を出て行く。
 …情けねえ。
 すっかり歪んでしまっている頭でも、そう思う。菊に酷く心配をさせてしまっている。
 だが、今の歪んだ思考では喜びの方が大きかった。今の菊はサディクの事ばかりで頭が一杯だろう。
 ヘラクレスのことだって、今の彼にはきっとない。
 サディクと同じく二杯目の飯をほおばりながら、によによとヘラクレスが笑っている。
 ざまーみろと言った所か?
 けれど、今のサディクにはヘラクレスに構っている余裕等なかった。子供を本当の意味で傷つける事も容易だった。
「…ちいせぇなぁ。」
 立ち上がり、ヘラクレスを見下ろしながら言った。
 大半は自分に言った言葉だった。小さいのは自分だ。狭量な自分に吐き気がする。
 頭痛はさらに酷くなる。頭の中で鐘が鳴っているようだ。
 だが、当然ながらヘラクレスは別の事と受け取ったろう。
「っつ!」
 その言葉を聞いて、目を見開いた。すぐに、ヘラクレスの頬に朱が差す。フォークを握りしめる手は白くなっている。
 今は小さな同情さえ出来ず、ただその様子を見ていた。
 察するのがはやい、こんな所は菊にそっくりだ。そう思った瞬間、又吐き気が増した。

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