「家族のこれから-16」

「おはようございます!」
 日本の朝は早い。その通り。サディクも良く解っている事である。
 そろそろと慎ましやかな音しか立てずに、開いた戸から聞こえてくるのはもちろん菊の声だ。
 ここ二日程は自分からやる気満々で起き出していたが、そろそろ限界が来ていたらしい。昨日に良く動き回ったこともあるだろう。
 そう、あの後。
 菊がちょっとしたことで二人の前から姿を消す時、すさまじい戦いが繰り広げられていた。
 気を抜けばやられるところだったかもしれない。何故なら、サディクは子供相手と力ではちゃんと手加減をするのだが、ヘラクレスは一切そういうことがないからだ。
 どうも怒らせ過ぎていたらしい。
 菊が戻ってくるとお互いに背の後ろでつねり合ったりの、なんとも言えない子供じみた戦いではあったが、本人達は真剣そのものであった。
 そのおかげで夜遅くまで眠る事は出来ず、しっかり寝過ごしていた。しかも頭は全く起きておらず、かなり寝ぼけていた。
「Gu¨nayd?n.」
 意識の半分目覚めぬまま布団の奥からそう言うと。
「…!…Gu¨nayd?n.…ええっと…Kahvalt?.yemek mu?」
「…Evet.…yemek.…」
「…Tamam.…」
 その言葉で戸は閉まった。
 アレなんか可笑しいとかその時の彼は思わなかった。
 目をこすりつつなんとか起き上がる。
「…ム…」
 あまりの眠さにうなりつつ。それでも布団をちゃんと押し入れの中に入れ込む。初めての日は置きっぱなしだったが、菊が片付けているのをその日のうちに見て、翌日からはきちんと入れるようになった。
 良く解らないなりにも、郷に入れば郷に従え。礼に従えは解っているつもりだ。
 戸を開けて、ぺたぺたと廊下を歩いていく。
 たどり着いた洗面所で顔を洗い、口を濯ぐ。
 そういえば、ここにきてからあまり祈りを捧げていない。後ろめたい事があるからこそだが、それでも信仰心に変わりはない。また一人になれば、やらねばならないなと思いながら、菊のいる台所に向かう。
 のれんをくぐる前から、みそ汁のいいにおいがする。
「Miso corda…」
「Gu¨nayd?n!Nas?ls?n?s?」
 振り向いた菊から元気よく声が掛かる。またおはようでお元気ですかとはまた固い。
「?yiyim.…Ya siz?」
「Ta?ekku¨r ederim.?yiyim.」
 今までにない、耳慣れた言葉。
 あれ?
 菊が少しよそよそしい。そこでようやく気づいた。暫く母国語をしゃべっている事を。しかも、菊が自分に対し言葉を返している事も。
「…き…菊さん…?」
「…!…あはは、ごめんなさい、まだまだ全然なんですよー」
 お恥ずかしいと頬を紅くしながら、飯をよそった茶碗をテーブルの上に乗せた。
「や、お上手すぎておれ、暫く気づきませんでしたけど…」
 気の弛みとしか言いようがない。前日まではしっかり日本語でしゃべっていたのだ。寝起きであっても、あんなぎりぎりの倒れた後であっても。
 だが、どうして菊がトルコ語を知っている上にしゃべる事が出来るのだろう?と不思議に思っていれば、理由を話してくれた。みそ汁をよそって、サディクの前に置きながら。
「ちょっと前から、勉強はしてるんです。トルコに行ってみたくて…ああ、あの子の故郷ですから。ギリシャもそうですから、そちらもしなければと思っているんですけど」
 文法が一緒だというので、先にこちらを齧ってみてるんですが。そう言った菊の言葉の中には、初めて耳にするものがあった。
「え!?ちょっと待ってくだせえ!トルコ…?なんですかい?あいつの国籍って…!?」
「…あ!すみません。私、お話ししていませんでしたか?すみません…そうなんです…あの子はトルコ人とギリシャ人のハーフなんです。もともとの国籍はギリシャのはずですが。あ、今は日本籍ですよ。」
 ハーフと聞いてようやく納得した。
「…ああ…そうなんですか…」
「ええ、すみません。大事な事を言い忘れるなんて…。」

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