「縛-1」


子供扱いされるのはもううんざりなんだ。




「ふざけるのはよせっ…術をとけっ!」

必死に子供を睨み付けて、イルカは声を荒げた。
まるで今のこの状況が理解できない。

なんで…どうしてこうなってる!?

自分の意志など丸で関係ないように、本来思い通りに動くはずの筋肉は強ばり…ぴくりと動かすことさえ出来ない。
それこそ指一本さえも。




アカデミーも終わって、受付業務もない穏やかなそんな日の午後。
元教え子の生徒に聞きたいことがあるからと呼び出され、待ち合わせた教室に入った途端、身体が全く動かなくなった。
足を踏み入れた瞬間、発動された術はイルカのまるで知らない術式だった。
至極簡単で、シンプルな下忍でも充分に理解出来るようなものだった。だがすぐに仕組みが理解出来たとて解術で切る訳でも無い。よしんば解ったとしてもその印を切るはずの手は微動だにしないのだから。

アカデミーでこんな事を、術を教えた覚え等まるでない。

イルカは焦り、憤った。
こんな味方を陥れるような卑怯な真似を。

そう、これを本来使う時というのは…



まさかと思った。
イルカが生徒相手に油断していることは良くあることだった。落ちてきた黒板消しを避けずにいて、それが頭に直撃し白墨の粉だらけになったことはもう片手では足りない程だ。
お前はいくらまだまだひよっこの子供相手だからと気を抜き過ぎだ、と同僚からも良く言われるが…だがそれは信頼から来る裏打ちだ。
なんだかんだいっても子供達が自分達を好いてくれている自信がイルカにはある。
だからこその自分もよくやったような、可愛いイタズラを甘んじて受けるのだ。うぬぼれと言われようともかまわない、まず自分が信じなければ確かな信頼関係など得られはしないのだから。

だからこそ…今の状況が信じられないのだ。

嘘だ。
だってこんなことするような子供じゃ無い。こんなことできるような子供じゃ無いのに。
こんな真似を一番嫌うような子供なのに!!

けれど全く動きもしない四肢は完全に現実でしかない。
この子供が本気ではないと…まだ間に合うと…何処かでまだ信じたいと思いながら、イルカは声を荒げる。
いや、願いながら。

「今ならまだ許してやる、だからはやくっ」
燃えるような怒りをたぎらせて、イルカは子供を睨み付ける。
おまえはこんなことするような奴じゃないだろう!?と。

だが、薄く弧を描いたその唇にイルカは愕然とした。
「っつ!」
「ふざけるなはこっちのほうだ。イルカセンセ?」

細められるその自分と同じ漆黒にイルカは目を見開いて、歯を食いしばった。


自分の認識が甘かったとでも言うのだろうか。

だって本気だなんて誰が思う?

男の自分に、ひとまわり近くは離れている大人に。
ただ見守るだけで…その痛い程の孤独に触れることが出来ず、何も出来なかった教師に。
この優秀な教え子が惚れているのだと。

自分の懐にいれたいのだというなど…信じることなんてそうそうできるはずがないではないか。

「サスケッ!」
「卑怯なことしたのはあんたの方が先だろ?」
あんな言葉くらいでおれが諦めると思った?
ついと口元に伸ばされた手にイルカは狼狽した。

その言葉の意味がわかるだけに。

「っつ!」

諦めて欲しかった。
きっと諦めると思っていた。
子供のかわいらしい憧れや憧憬…所詮、いつかはあっさりと消えてしまうものだと思っていたのだ。


いや、そう思いたかった。







「よう、イルカ先生!みたぜみたぜ〜もってもてじゃねーか!」



同僚の男がからかい半分にイルカに声を掛けた。
テストの採点を始めようとぺらぺらとその用紙をめくっていたイルカは、顔をあげ…ああ、見られていたのかと苦笑した。


つい今し方、今イルカの受け持っている教室の、まだたった十程の少女からイルカは告白を受けた。
誰もいない教室に呼び出され、顔を真っ赤にした自分の生徒から。
しかし誰もいなかったはずの気配のない場所で、しっかりと出てくる所は目撃されていた様だが。

まったく…覗き見なんて趣味が悪いぜ…

少女はそれなりの成績で…けれど実践よりも頭脳派で。サクラのような子だなと卒業していった、一番手のかかった子供達の時期を思い出して、イルカは微笑ましく思ったものだった。
授業の合間の休み時間に手に押し付けられた手紙を開いた時から、なんとなくこういうことだろうなとは予想は出来ていた。
実の所、イルカが生徒達から告白を受けたことはすでに幾度となくあったからだ。
だがその殆どは卒業していった後も続いていくような強い想いではなかったと知っている。
かわいらしい子供ゆえの憧憬だと。
…例外もあるが。



いるかせんせいがすきなの。すごくすごくすきなの…だからつきあってください。

辿々しい口調で…いつもの利発さや小生意気な所など欠片もみえはしなかった。
その必死さはイルカへの思いの強さも含めているようで…いじらしくて…見ているこちらが応援したくなるようなものだ。

けれど…イルカにはその思いを受け止めることは出来ない。
今の大事な時期にすぐに消えてしまうような恋心になど捕われて、可能性のひとつを…潰す訳にはいかない。
やんわりと、イルカは少女に「ごめんな」と謝った。
優しい口調でありながら、受け入れることは出来ないと言った拒絶はしっかりとのせていた。
当然、その言葉に少女は酷く傷付いた顔をした。

なんでなんで?わたし絶対良い女になるよ!せんせいがどきどきするくらいすごい良いくの一になるんだから…今からでもふったらこうかいするんだから!

そう涙目でいいつのる様は可愛らしく、ついつい…子供相手なのだからと…すぐに薄くなっていくような気持ちだからだと…いいよと言ってしまいそうになるけれど。

そういうんじゃないんだと。

もしお前に惚れたとしても、つきあうことは出来ないんだよと。
…はっきりとそういって傷つけることも可哀想なのだと出来ない自分には、情けないと笑うことしか出来ないけれど。

そうだな、おまえが本当に良い女になったときには検討してみるよと笑ってやった。
いつもなら、少女が嫌がるようなこと…その小さな頭をぐしゃぐしゃと掻き回して。
そうすると少女は一度頬をぷうと膨らませ…が、一転して笑顔になり、いつもの調子を取り戻したのか、指をイルカに突き付けて「まっててよね!」と叫んだ。
小生意気ないつもの挑むようなその強気の姿勢で。
絶対ふりむかせてみせるからといって走り出した少女にイルカは苦笑して、その背を見送った。

まだ望みはあるのだと、よろこびを背一杯に走っていく少女。



嘘つきは泥棒のはじまりなんだぜ?
そう生徒に教えている癖に、一番の嘘つきは俺か。


イルカは心の中でごめんなと一つ呟いた。




「すげーなあ…俺が知ってるだけでもよ、もう5人目だぜ!?お子さまには本当にモテルよなあ…おまえってさあ」
嬉しく無いような、嬉しいような微妙な線をつっこまれてイルカは渋い顔になる。
自覚していることをずけずけと言われるのはあまり気持ちの良いことではない。それは親しいものであっても時と場合によるものだ。

「悪かったな…年頃の女の人にはもてなくてよ…」
「いやいやわりいわりい…はは…」

悪びれずに笑う同僚にため息で答えながらも、イルカは見知った気配が職員室の壁一枚隔てた所にあることに気付いた。いつも、気配を殺す彼にしては珍しく…気配をまるで消そうともしていない。
まるで自分に気付いて欲しいとでもいいたげで…イルカは眉を潜めた。
だが同僚は自分の言葉に気を悪くしたのだと気付く気配もない。

…何しにきたんだ…?
訝しげに気配を探るけれど、それは動く気配も無く今だそこに留まっている。

「いいねえ…あの子きっと将来良い女になるぜ?」
そんな同僚の言葉にイルカはああ、そうだと思い付く。

あの少年もそうなのだ。
自分などに思いを寄せているのだ。

これは好都合…チャンスなのかも知れない、あの少年に諦めさせる為の。
お前の想いは受け入れられないのだと、そう小さな望みを断つための。
いや、断ち切らなければならないんだ。


ゆっくりとイルカは口を開いた。


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