だから封印した。
子供からの想いから逃げた。
そうすることしか出来なかった。
ほんとうはそのときからしょうねんのことが、あたまからはなれなくなっていたのに。
…この思いに向き合うこと等永遠にないと思っていた。
イルカにとって、あってはならない感情だった。
気付いてはいけない感情だったから、ひたすら逃げていたのだ。
そんな…逃げていることにさえ、気付かないフリをしていた。
大義名分をつくることで…必死に隠してきていたのに。
イルカにとって…この世界で生きていくには必要なことだった。なのに逃げることさえこの少年は許してくれそうにない。
こんな、本当はしたくなかっただろう、卑怯なことまでやってでも…。
イルカのこころの奥底に封印した心を、ひたすらに…引き出そうとする。
もう大切な人等つくりたくないんだ。
嫌なんだよ。
ましてやおまえのような孤独をかかえた者と肩を寄せあう等。
確かな意志をもって、恐ろしい力に向かおうとする人を見ること等。
自分ごときでは絶対とめることの出来ないモノを背負っている人と添いあうこと等。
こわいんだよ。
一度手に入れたそれが、壊れる様等見たくもないんだ。
そんなことはもう…一度で充分なんだ。
その意志の強い瞳に…孤独な背に…何時しか心捕われていたとしても。
「…俺だけをみてくれよ…」
何も答えないイルカに焦れてか…苦しげに目を細め、そう絞り出した子供に、ちりりと胸の奥が、焦げた。
ゆるりと涙の後を辿る指が震えている。
ここでイルカが拒否すれば、少年はもう誰にも心を開かなくなるだろうことは容易に知れた。
暴かれてしまった、その恋とも呼べぬ淡い、醜いともとれる…こんな想い。
こんな想いなど…できれば一生知りたくなかった。
けれどこんなにまで踏み込まれ、暴かれてしまった今…もう隠しとおすことなど出来る筈もない。
こんなにも、少年への気持ちが溢れ出てきてしまっていると言うのに。
…これがおまえの望みだろう?
おまえは…俺をみていないのに…どうしてその想いに答えなきゃならないんだ?
本当のお前は遥か先にあるものしか見ていないというのに。
おれなど本当は必要でない癖に。
ああ、こんな残酷な答えになど…気付きたくなかったのに。
「ふっつ…うう…」
涙がぼろぼろとこぼれた。溢れ出る感情とともに。
え、と目を見開いて驚いた表情をみせた少年にイルカは思いのまま、言葉をぶつけた。
「いやだ、いやだ。もうひとりにはなりたくないんだ」
体中に走った…痛みを無視して、少年の胸ぐらをつかみあげて、イルカは叫ぶ。
「俺など本当はかけらも見てもいないくせに…俺など、その復讐の前にかんたんに捨ててしまう癖に、なんで答えなきゃいけない!」
うわ言のように何度も何度も繰り返す。
頭の中に反響する思いのままに。
もういい、すでにもう今迄の関係なんて壊れてしまった。
生徒と、先生という関係なんて、もうめちゃくちゃなのだから。
どうとでもなれとばかりに、イルカは言葉をぶつける。
「そんなおもいならいらない…!こんなことまでして、求められたって…答えること等出来る筈がないだろう!」
すてられるのがわかっているというのに、ひかりのないみらいしかみえないというのに。
「俺にもとめるな!また、引き剥がされるなら、そんな思いなら…いらないんだよ!」
「ち、ちがう!俺は先生を離したりしない!!」
切羽詰まったような声で否定して。ぎゅうと小さな力で引き寄せられて抱き締められる。
なんとか…イルカの背に届いたその両腕。
今なら突き放せるのに、その腕を引き剥がすことができない。
先ほどはおびえることしか出来なかったその手は暖かくイルカを包んだ。
「ずっと、一緒にいる、いるから…」
そんなこと、出来る筈がないのに。
それは少年自身が一番よく解っていることだろう、それでも…そう言うのか。
少年の言葉は、一層イルカの胸を掻きむしる。
もう、1人になりたくないと叫んだ、孤独から未だ解放されないその胸の奥で泣いている子供のこころを。
なぜ、どうしてと。
ひとりにしないと、そんなうそをつかないでと。
押し返そうとする力は弱いけれど、そんな小さな否定も許さないとばかりに拘束は強くなる。
「先生をひとりにはしない、俺はあんただけみてるから…」
…少年は必死に言い募る。先ほどの、余裕を見せた顔等、何処にもない。
本音を吐露した…あの時の様に、必死にイルカを求めて、すがって。
どんな方法を使ってでも捕らえて…もう何処にも逃さないのだと謂わんばかりに。
「どんなことがあったって…」
寄せられた口もとから聞こえた、きりと奥歯を噛み締める音。
強くなる伸ばしきった腕の力。それでも握りしめられないその、手。
張り詰めた、鼓動の速さ。その肌の、体温の熱さ総べてが。
「おれはあんただけ、せんせいだけおもってる」
「…」
今にも泣き出しそうな、その声も。
本当は、すべて解っているのだと、イルカに伝えていた。
自分が復讐の鬼であることも、それが成就できない内は誰も心の内にいれることは出来ないことも。
一族を、好いていた者に壊されたという、どす黒い矛盾の影が少年の心を蝕まない日が無いことも。
その余りにも深い孤独を埋める術は…本当はどこにもないのだということも。
強さを求めるあまり、その心が乾きを訴えていても水を飲み干し、うるおす時間さえも無いことも。
例え、イルカが少年に全てを注いでも、彼の全てが癒されることがないことも、すべて解っているのだ。
無理だとわかっていても、いや無理だからこそ…求めずにはいられないのだと。
だからこそ手に入れたいのだ。
それほどに、焦がれ切望している。
少年の葛藤が、すこし、垣間見えた気がした。
ああそうか、おまえは…だから俺を求めたんだな…。
おれたちはくらやみでないているこどもだ。
けれどお互いにそれでは、傷を舐めあうことしか出来ない。
出口のないトンネルで二人手をつなぎ、歩き回ることがお前の望みなのか?
お前に必要なのは…その先を求めることなのに。
それでも、俺を必要とするのか?
それでも、ひつようとしてくれるのなら。
手をゆっくりと廻して、抱き返せば少年の肩がびくりと震えた。
まるでそうされたことが嘘だとでもいうように、ゆらりとその瞳は揺れたけれど…紡がれた言葉は、イルカを求めて止まないのだ。
「だから…俺だけ…みて…」
ナルトも、サクラも、カカシも。他のこどもたちも。
皆、見ないで。
あの先生に告白した…ちいさなおんなも、切り捨てて。
大事な者も、日常の付き合いもすべて捨てて
…自分だけを見てくれと。
そうすれば…このからっぽな心が、満たされる気がするのだと。
子供らしい…いや、まるで成熟した大人のような、その凝った独占欲がイルカを包む。
けれど、その薄暗い思いが重荷では無い。
いやむしろ…嬉しいのだと。
その気持ちに偽りは無い。
本当に愛されているのだと、復讐の炎にやかれようとも、残る想いはあんたのものなのだと。
そう宣言した子供の決意がイルカの泣いているままの子供に、暖かいぬるま湯のようにじんわりと…染みていく。
抱き返す腕に力をこめて…少年を抱き締めて、イルカは泣いた。
自分の血を吹き出したまま塞がりもしない傷を抱えた…イルカの未熟な心に入り込んできた小さく、深い孤独に。
それをいやしてやれない、自分のふがいなさと無力さに。
「…うっう…」
叶えられない、お互いにすれ違うばかりの想いに。
「先生、せんせい…」
ああ。
強くなる腕の力が心地よくてたまらない。
あんなに離れたかった、逃げたかった腕が。
今は、こんなにも…こころ穏やかになれるものに変わっていた。
このまま、ずっとこうしていられればいいのに。
他の事等全て忘れて。
そうであれば、おれたちはずっと一緒にいられるのに。
自分の少年への想いを深く確かめて…イルカはいつまでもその腕の中で泣いていた。
※
すでに時間は深夜を超していた。
随分と長い間、二人で抱き合って泣いていた。けれどその涙もついぞつきて、二人で眠りに落ちていた。
先にふと目を覚ましたイルカは胸の中の暖かな体温に…気付いて少し笑う。
…イイ大人が…ほんと何やってんだか。
「…帰るか」
すっかり、落ち着きを取り戻している心は、何気なくそんな言葉をぽろりと零した。
あんなにも、明日からの生活を憂い、腕の中で呼吸する少年と信じられないことをしたというのに、今やそんなことはどうでもいいのだとばかりに…笑み迄こぼしている自分がちょっと信じられない。
ようは、…吹っ切れただけ…というだけなのだろうけれど。
こういうときだけは…自分はもしかして大物ではないだろうかとすこし疑ってしまう瞬間だ。
胸の中で眠っていた少年は、その声にしっかりと目を覚ましたようで、ごそごそと身じろぎする。
「…ふ…え?」
なにが起きたのかわからないとばかりにぼんやりとした目が、緩慢にイルカに向けられる。その表情は幼くまだ子供なのだなと思える瞬間だった。
「…うん、いつまでも…こうしてちゃいられんだろ?帰るぞ、サスケ」
ぽんぽんと、その頭を子供をあやすように軽く撫でて笑ってやれば、少年は見る見るうちに顔色を亡くした。
「っつ!!」
がばりとイルカの腕の中からあっという間に飛び出してしまう。
けれど勢いで飛び出したものの、どうしたら良いかわからないのか。
…なんとも言えない表情で何かを口に出そうとして…言い淀み、頭をたれて…うなだれた。
「…先生、俺は…」
あんなに、自分を求めた少年とはまるで別人の様に…諦めにもにた光を宿した瞳を切なそうに細めた少年に、イルカは笑顔を見せる。
「いいよ、もう。本音、随分だしあっちまったしな…ま、おまえの気持ちも自分の気持ちも良く解ったつもりだよ」
「…解ったって…」
今やもう、すっかりイルカは自分を取り戻していて、少年を前にしてももう取り乱すこともなかった。
まだ絶望に散々泣いた目は腫れぼったく熱をもっているが、これなら明日に残ることもないだろう。
身体は…まだまだ痛みが残り、本当は立つのも辛い状態だったが、少年の為にと、すこし虚勢をはって平気な顔はしているのだが…明日はアカデミーを休まなければならないかもしれないと思えば少し憂鬱だが。
「…許すのも、ひとつの罰だろう?」
そういって、いつものように…先生の顔で不適に笑めば少年はなんとも言えない顔をした。
「…なんてな、もう今となっちゃ、そんな言葉ばかりで茶化したりはしないよ」
解っている。これは少年の想いに対する答えでは無い。
そう、彼は答えを待っているのだ。
だからイルカを残して去ることもせずに…ここに留まり、ただイルカの言葉を待っている。
今ではすっかり…少年が自分を求める気持ちを、きちんと整理して自分の心に納めることが出来た。
…さんざん泣いて、いろいろと憑き物が落ちたみたいな感じになったんだろうなとイルカは解釈しているが。
要は、少年の本音が聞けたことが一番大きいだろう。
知りたくて堪らなかったその、心の奥底をさらけだしてくれた事実が。
そして自分の気持ちを…確かめたことも。
口を一文字に引き結んで、望まない審判を待っているような…少年。
イルカの答えはもうわかってるだろうに。
…もう迷うことも無い。
イルカの気持ちは決まっていた。
しっかりとした意志をこめてイルカは少年を見つめ、ゆっくりと口をひらいた。
迷いのない口調で一句一句噛み締めるように、言葉を紡いだ。
それでもおまえの想いに答えることは出来ないのだと。
ずきりと痛む胸も、今は簡単に受け入れられる。
お前が本当に心も身体も…強くなって。
その強い願いを成就した後に…戻ってきてくれ。
そうしたら俺はお前を受け入れられるから。
弱い人間で、本当にすまん。
けれどいつまでも待っている。
まっているから。
だから。
「いつか、迎えに来てくれ」
そう微笑めば、子供は痛みにたえる顔をして、ゆっくりと近付き…よりかかりイルカの肩に額を埋めた。
「せんせい、いるか…せんせい…」
何度もそう、教師としての自分の名を呼ぶ少年の背をぽんぽんと叩いて、イルカはそれでも笑う。
「…そうだ、俺はお前の「せんせい」だよ。これは…ずっとなにがあっても変わらない」
「っつ…」
「けど、おまえが…もし…俺の元にかえってきてくれたなら…」
きっとこの関係は変わってしまうのだろう。
もう、生徒と先生の関係だけじゃない。
けれど…今はまだ…どうなってしまうのか、未来はイルカにもわからない。
けれど期待している。
この本音を吐露しあったような、そんな近すぎる程の…心、溶け合える仲になれることを。
「…すきだよ、サスケ」
「…っ、おれも…好きだ…すきだ…」
顔をくしゃりと歪めた子供の背をイルカはゆるりと抱き締める。
こんなに惹かれあっていて…なのにどうして一緒にいれないのだと…いいたくても言えない。
それでも名前を呼べば嬉しそうに、それでも今にも泣き出しそうな顔をするのがたまらなくて。
わかっているから辛い。
離したくない、本当は離れたく無いのだと叫ぶ幼い心も、すべて押し込めて。
それでも望みはあるからと、イルカは少年の背を撫でる。
「…まってるから」
「ずっと、ここで」
どうして…もうきっと叶わない望みなのに、孤独な、あの背が忘れられないのだろう?
…少年は里を抜けた。
了