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「菊ー!きくーっ」
夏も終わり秋の中旬とはいえ、降り注ぐ陽光はまだまだ強さを残し、容赦がなかった。だが彼が偶々倒れ込んだ場所は公園の木陰だった為、幸運だったと言える。
「きっくーはやくー!」
薄れかける意識を掴んで引き戻すような、耳障りな子供の甲高い声。
頭にざりさりと酷く響く。
じゃりじゃりと地をける音が近づいてきた。だが、唐突にその音は途切れる。男を認めたのだろう。
倒れた男に子供は気がついた。
「…?…なにこれ」
子供がしゃがみ込んだ先には黒い髪がある。すぐに何かは解った。
だが、少年は大層嫌な予感がしていた。
なんとなくこの先の展開が、読めてしまったのだとでもいうのか。
だが、今からでは目の前の何かをどうする事も出来ない。
大好きな男の目から隠す事は出来ないのだ。
取り合えず少年は、生きているだろう事を確認する為に、靴を履いたままの足で横たわっている男の頭を小突いた。
倒れている方はその衝撃に当然ながら驚き、怒る。
…こんの…くっそがき…。
だが、立ち上がる気力もない。実のところ目をあける気力さえ尽きていた。
足で小突かれているというのがなんとか解ったくらいの判断力しかない。
静かに憤る男のことなど知らぬ存ぜぬ。子供の足は男の頭をぶぎゅっぶぎゅと踏みつけだした。
心底疲れきってぶっ倒れている人間に対してする仕打ちではない。いくら子供といえどもやっていいことと悪い事がある。
親の顔が見てみたいと思った瞬間。
「ハークくーん、ちょっと、まって、下さいっ」
少し低い、男の声が聞こえた。
今にも消えてしまいそうな意識を必死に引き止めながら。倒れふし、子供の足を乗っけたままの男は、最後の力を振り絞り文句の一つもいってやろうと心に決めた。
それも曖昧な意識の中だった為、後から思えば怪しい物だったが。
しゅ、しゅと衣擦れの音が随分近くまでやってきていた。
「ハーク君はやいです…私は君よりずっと年寄りなんですからもっとゆっくり…って…え?」
男の、のんびりとした声が驚愕の音とともに途切れた。
「…なんか、倒れてたから。生きてる?か確認?してる…」
男とは正反対に冷静そのもので、しれっと答える子供。
「ええっちょっ!ハーク君、なんで頭踏んでるんですかっやめなさい〜!!」
思っていたより普通の反応だったな、この親。
だがそう思った瞬間とうとう限界がきた。いや、そもそもここまで持ちこたえられていた事自体が、まさに奇跡ともいえる状態だった。脳に回る糖分等、体中の何処を探してもない状態であったというのに。
様は空腹の極みと心労、体の疲れがピークに達した為にぶっ倒れたのだが、すぐ意識を手放せなかったのだ。この親子の所為で。
だが、意識はもう闇に落ちかけていた。
もう、だめでえ…。
頭から子供の重みが消えた瞬間、男は意識を手放した。
「…!?」
子供を抱き上げ、横におろし。さしていた番傘も脇に置き。しゃがみ込み男の安否を確認しようとした瞬間、ちらりと横顔が見えた。
大きく男の目が見開かれる。
男に添えられた手を、引き戻し胸の前で組んだ。強く握られた手が少し震えている。
いつもは殆ど表情を出さない男の、その大きな驚きように子供は素早く反応した。
どうしたの、菊大丈夫?と心配そうな顔で着物の裾に縋り付いた。
「…いえ、なんでもないんですよ…。ちょっとびっくりしただけですから…」
安心させるような笑みをつくり、本当にとそれでも心配そうな顔をする子供の頭を撫で大丈夫ですよ、と男は言い。倒れた男の方に向き直ると、素早く動脈に手をあて、脈を確認する。顔を少し傾け、息も確認する。
「うん、ちゃんと息もしておられるようですね。」
ほっと胸を撫で下ろす。後は骨折等していないか等確認し、あおむけにした。
まぶたこそ閉じているものの、今度ははっきりと顔の全体が見えた。
だが、今度は特に動揺もせず、声を出す事もなかった為、子供はようやく安心したようだった。掴んでいた手を離し、男と一緒に倒れている男の顔を見た。
「…なにじんかな?」
「さあ…聞いてみない事にはわかりませんねえ…」
そう答えるとどうしてか、子供は露骨に嫌そうな顔をする。
その顔を見て苦笑するものの、普段から人見知りが激しいからと、男は特に気にしない事にした。
「…さて、どうしましょうか。意識のない体ってとっても重いんですよねえ…しかも私よりだんぜんおっきいですし。いえ、がんばればなんとかなるはず…。…でもここはやっぱり救急車をよんだ方がいいですよね。…うーんでも…」
つらつらとつぶやきながら、しばらく考え込んでいたようだが、なんとなく子供には事の成り行きは読めていた。
「…おれ、傘、もつね。」
きっと菊には、この男を見捨てる事は出来ない。
とんでもなく不快な出来事が起こりそうではあったが、彼の決定は絶対である。逆らえるはずもない。
保護者だから逆らえないとか、そういった当たり前のことは全く別としても、だ。
どんなに嫌でも、彼がいればきっと耐えられるから大丈夫だ。自分にそう言い聞かせながら、脇に置いてあった傘をハークと呼ばれた少年は、ひょいと取り上げた。
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