お前は一生童貞だなんて、呪の言葉の様だった。
中忍になって暫くの頃。
イルカは工作員としてのある任務を終え、報告を残し帰投するだけになっていた。
すでに任地先からは6里ほど離れた人里に、身は移していた。
今回のイルカの任務は任地先で、後発隊が仕事をやりやすいように舞台を整えること。
主にサポートであり、その行動は表には一切出ない。
さらにその主だった仕事は暗殺であったのだから、日の目も見ないような闇の仕事だった。
本来、暗部がこなすような任務ではあったが、近頃の人員不足からそういった裏部分の仕事も近頃は回ってくるようだった。
大名家がらみのことで内密にと、随分と沢山の依頼金を貰った手前無下には出来まいと、火影直々に受けた任務に、イルカは信頼されている証とはりきった。
その任務の条件として…主である目的、ターゲットの殺害が、『暗殺』であることが悟られてはならないということだった。他人の介入は許されないような格式高い名家。お家騒動で忍びが背後で動いたとなれば大きな問題となりかねない。だからこそ、充分な下準備が必要だった。
イルカはターゲットの屋敷に小間使いとして入り込み、人々の中になんの疑いも持たせず完全に溶け込んだ。
そして、少しずつ準備を進めた。噂を浸透させ、自然な状況をつくりだす。
後から到着した、主たる実行を行う暗部と打ち合わせをし、行動に移した。
そして当主の跡継ぎである男、ターゲットの死という形で幕を終えた。その死は誰が見ても不遇な死であり、疑う余地は少しさえない。イルカの仕事は完璧だった。
時期当主の男が死んだ数日後。噂についての後処理を行ったのち…田舎で、父親が危篤なのだと暇を貰いイルカはその屋敷を後にした。
全てを終え、簡単な報告の式を飛ばした後、すぐにでも木の葉に帰還しようとは思ったのだが。
如何せん、身体は正直で疲れを訴えている。
細心の注意を払い、怪しまれるような行動は一切見せてはならない。
なおかつ暗殺が成功した後のアフターケアも万全に。
その暗殺が自然死であり、不自然なことなどまるでないように治めるのは、なかなかに至難の技だった。
どこの大名家にもいる大抵の相談役は頭の切れるものが多く、それを騙し通すには相当の準備と騙し切るだけの用心深さがいるものだ。
ましてや時期当主の弟である、少年は非常に頭脳明晰で思慮深かった。
だが、イルカの人柄のおかげか、多少訝しんでいたものの最終的には納得したようだったが。
イルカは人に溶け込むことが非常にうまく、細やかな所迄気が回る。また状況分析が旨く、ここぞというところで頭が働く。
だからこその人選ではあった。
火影に気に入られていると言うやっかみもあったが、イルカは確かに上層部に認められるような優秀な忍びである事には間違い無い。
だが生真面目なイルカであるからこそ、気を抜く事なく張り詰めていたものが解けた瞬間。
気疲れがどっと押し寄せてきたような感じだった。
くったりと身体に力が入らず。木の枝の上でだらりと四肢の力を抜いて座り込んでいた。
…少し休んでから戻っても、お咎めはないだろう。
イルカは一ヶ月に渡る…任務を成功させた。
一ヶ月以上の期間を費やした場合、恩賞の休暇とはまた別の休息の為の日が与えられる事になっていた。 帰ってきた式は案の定、そちらで少し休んでから帰投せよと言う労いだった。
少々イルカには甘い三代目直々の言葉とはいえ、見事任務を果たしたイルカには当然の酬いだろう。
素直にその労いに甘える事にして、帰投を明日に決めた。
待機していた町に宿をとり、体力を回復する為にごろりと横になる。
そのすぐ、5分後には静かな寝息が聞こえてきた。
※
一晩休むと疲労もとれ、頭もすっきりしていた。
緊張感から解き放たれ、久しぶりにゆっくり眠れた事が大きいだろう。
今から出立すれば日の落ちる前に十分に木の葉に帰り着く事ができる。
だが幸か…不幸か。
イルカはそういえばと思い出してしまう。
同僚達から買ってきて欲しいと頼まれていた傷薬や、武具等が確かこの町の近辺で買えたのだと。
それらを買いに走ってから里に戻っても遅くは無い。
兼ねてから、『花房』と呼ばれる薬師の傷薬はとても良く効くのだと聞いていたイルカも、非常に欲しいものの一つではあったから、決断は早かった。
昨日はそのまま寝入ってしまったものだから、服装は任務先で使っていた一般人としてのラフな格好のままだった。
どの道、忍びとして買い物に行く訳では無いのだから着替える必要はないだろう。
すぐに戻ると宿に言いおいて、てくてくと大通りを歩き目的地に向かった。
その足取りは軽い。
失敗は許されない任務中のぴりぴりした緊張から解かれ…しかも成功した事もあり、確かに多少浮き足立っている事は否めなかった。
そして良く効くといわれた傷薬迄手に入るのだから。
里に帰れば結構な給金はもらえるし、休暇も数日もらえる。
何をしようか…!
これで、足取りが軽くならない方が嘘であろう。
だが偶々入り込んだ、狭い路地裏で事件はおこった。
多分近道だろうと身を滑り込ませて歩いていけば、塀の影になっている部分に、小さな机と水晶玉を持ったちいさな老婆が座っていた。
占い師か…こんなところでやっていて儲かるのだろうか等と思いながら、横を通り過ぎようとしたイルカに小さな声が聞こえた。
『あんた…そこのあんた…』
ぼそぼそと発せられる言葉は、やはり…脇に妖しいフードを被って座っている老婆から発せられたもののようだった。
まさか自分に話し掛けられているとも思わず。
素通りしようとした瞬間。
『あんたは一生童貞だね…』
イルカはそのまま通り過ぎた。
いや、自分にいわれたとも気付かなかったのだから当然なのかもしれないが。
『かわいそうにね…』
俺に言ってるのか?!まさかと振り返れば誰もいない。
え、と目を見張るのだが、居たはずの妖しい老婆は消え失せていた。
最後のボソリとしたつぶやきは、見ず知らずの他人に向けられたものとは思えないほどに同情のこもった言葉だった。
それは明らかにイルカにしか向けられていないもので…耳にしっかりと残っている。
「…はあ…?なんだったんだいまの…」
呆然とそのあたりを見つめるが…そうしていたって老婆が戻ってくる訳でも無いから、仕方なくその場を後にする。
あまりに意味深な言葉と同情の隠った言葉。
ちょっとばかり…その理由を聞いてみたい気もしたが、あまり時間をとっていては、木の葉への帰還時刻は遅くなる一方だ。
「やべ…はやくいかなきゃ…!」
そういって駆け出したイルカの頭には、言われた事等欠片も残っていなかった。
イルカはその後は何の問題も無く薬や武具を購入し、その町から出立した。
帰投途中にふと…イルカは老婆に言われた言葉を思い出す。
一生童貞…ねえ…
だが今一、現実味に欠ける言葉だ。
自分が一生童貞である等。
確かにイルカは童貞ではあったが、性欲がないわけでもなんでもない。
彼女は欲しいし、ちょっとの期間ではあったがしっかりいたことだってあるのだ。
ちょっと花街の類いは苦手で今だ、行けてはいなかったが。
情けないが童貞だと言い当てられたのは、この自分の恋愛とは無縁のような顔のせいだろう。
「そんなことある訳ないじゃ無いか。馬鹿馬鹿しい!第一あれ俺にいったんじゃないだろ!」
未だ十代のことだったから…笑い飛ばす。
はっきり言って忍びに対して滑稽だろう。
基本、忍びに性のモラル等あって無いようなものだ。でなければくの一は存在しない。
だがあの時のイルカは一般人であり、忍びでは無い。
なら仕方ないか。ちょっとぐらい占い師って謂うのは大袈裟にいうもんだしな。
職業的に仕方ない事だよなあ。
同情の隠った言葉には少々ひっかかりを感じたのだが。
まだまだコレからの話じゃ無いか!
いくらなんでも一生って事はまず有り得ない。
俺はこれから嫁さんもらって堅実な人生を歩むんだからな!
そう思いながら、うきうきとした気分で木の葉隠れの里への道を急いだのであった。
続…